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かんつりろーど

最速のフレディ。 Frederick Burdette Spencer Junior…

投稿日時:2010/04/17(土) 16:41


アングリングファン編集部 “かんつりーろーど。”



ファスト・フレディ。


彼のニックネームであり、また常に彼の愛機のカウリングにはその愛称が刻まれていた。


アメリカの裕福な家庭に生まれたこの若者は、ボンボンならではの物事にこだわらない、おぼっちゃん的風貌を持ちながら、しかし比類なきその才能を、2輪の世界で遺憾なく発揮していく。



ルイジアナ州出身。 1983年500ccクラス史上最年少チャンピオン。

1985年には同じくWGPの500cc&250ccダブルタイトルを獲得。



戦歴は…正直ぱっとしない。

83年最年少チャンプと85年のダブルタイトルのみがクローズアップされるだけ。



そう、記録だけを見れば、大したことはないライダーなのだ。

レイニー、ローソン、そして現代の神速ライダー・ロッシの足元にも到底及ばない。


ただ、ダートトラック界でその名を馳せたルイジアナのドクターペッパー坊やは、最初から根本的に他のライダーとライディングスタイルが異なっていた。


スーパーバイクの世界でデイトナ四連勝。F1で言えばモナコで連覇するようなものだ。その強運ぶりが判るような戦歴ではあるが、しかしスーパーバイクではチャンプは獲れなかった。


そしてホンダの4スト&2ストワークスマシンを操り、世界GPで戦うようになると、さらにそのライディングスタイルは異彩を放ち始める。


ダートトラック界での経験が活かされていたとはいえ「2輪ドリフトが普通」というとんでもないコントロール能力は、他のライダーにはとても真似出来ない代物だったし、ピークパワー付近でマシンの方向を曲げるという曲芸もまた、フレディにとっては当たり前だった。


有名な「フレディ・スペシャル」と呼ばれるスペンサー専用開発モデルがホンダに存在したのも当然だったのかもしれない。

ホンダの超高回転型エンジンを、レッドに入れっぱなし、まさに壊れるまで回しきるライダーは彼しかいなかった。

そんな乗り方でラップを刻めば、他のライダーが追いつけるはずもない。

最速の称号は当然だった。


彼よりワイドオープン可能なライダーなどいなかったし、そしてメーカーとしてのプライドを捨てて4ストをあきらめ、なりふりかまわず世界を獲りに来たホンダのワークスマシンを与えられていたのだから、全く手のつけられない速さだった。

フレディ+NSRの組み合わせを前に、他のワークスメーカーは真っ向勝負をあきらめていた。

ヤマハはあるサーキットのみに的を絞って戦略を立てていたほどで、特定のサーキットレイアウトにおいては、間違いなく「フレディには追いつけない」とあきらめてGPに臨んでいたとの話もある。

またあるメーカーなどは世界GP撤退も考慮していたという。




フレディ第一のライバル、当時ヤマハワークス在籍のE.ローソン。

彼の皮肉たっぷりの当時のコメントはスペンサーという天才ライダーを的確に表現している。



「ホンダのマシンは速いようだね。エンジンもGOODだ。でもマモラやガードナーには強力なブレーキが付いているようで、コーナーは大したことはない。僕もついていけるスピードさ。でも、あいつのマシンにはブレーキは全くついていないね。ホンダがブレーキを装着するのを忘れてしまったようだ。あんな馬鹿げたスピードでコーナーに突っ込んで、ルイジアナのスーパーマーケットが(フレディの父はスーパー経営者)経営不振なのかと思ったよ笑。 でも奴はコーナーとダンスを鼻歌まじりで踊ってる始末さ。…無理だよ。ヤマハのマシンではあんなダンスは踊れない。彼女にふられたのなら別だけどね…死んでも構わないなら奴の尻に食いついていくさ。奴はクレイジーだ。…いかれてるよ、何もかも…」



しかし天才の寿命はあまりに短かった。85年のダブルタイトルを最後に、実質キングの座には戻ることは出来なかった。


手首・神経系のトラブル。

しかしそのトラブルについて、周囲の同情を得られなかったのも彼の悲劇だった…。


ホンダはフレディスペシャルを廃し、コンサバなマシンをガードナーに提供、そしてかつてのライバル、ローソンがホンダに移籍。

ローソンはフレディの象徴だったNSRを完全に異なるマシンコンセプトで纏め上げ、見事ホンダをチャンピオンに導いていく…。





歴史は残酷に刻まれて行ったが…。


しかしあの時代…80年代中盤、間違いなくルイジアナの若者には、誰もが追いつけない神の領域が存在していた。

フレディが最速のニックネームで呼ばれたのは、事実世界GPで最速だったからに他ならない。


彼には誰も追いつけなかったのだ。





「…僕のヘルメットバイザーの視界には、誰もいない。だれもいないんだ。それはそれは楽しいひとときだったんだよ。タイヤも、エンジンも、何もかも手に取るようにわかったしね…」









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