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かんつりろーど

土方歳三辞世に新説「鉾とりて月見るごとに…」

投稿日時:2011/06/15(水) 20:38

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110615-00000681-yom-soci
読売新聞 6月15日(水)14時49分配信

新撰組副長・土方歳三(1835~69)と最後まで行動を共にした隊士・島田魁(かい)(1828~1900)がまとめたとされる和歌集の巻頭歌が、土方 の辞世と考えられるとの説を、幕末研究で知られる霊山(りょうぜん)歴史館(京都市)の木村幸比古・学芸課長が打ち出した。

 「従来、辞世とされてきた歌は詠んだ日時の推定が難しいが、巻頭歌は間近に迫る死を覚悟した内容で、亡くなる前日に詠んだ可能性が高い」としている。

 歌は「鉾(ほこ)とりて月見るごとにおもふ哉(かな)あすはかばねの上に照(てる)かと(鉾を手に取って月を見るたびに思う。あすはしかばねの上に照るのかと)」。島田家に伝わる和歌集の冒頭に土方の名で記され、和歌集は26年前に同館に寄贈されていた。

 木村課長が今年、修復にあわせて、ほかに名のある30人を調査、大半が新撰組隊士や幕府側の藩士らで、戊辰(ぼしん)戦争(1868~69)で降伏し、長く生きたことがわかった。自然のはかなさを詠んだ歌が多く、維新後に隊士らが作り、島田がまとめたと判断した。

 土方は、旧幕府軍の指揮官として戊辰戦争に加わり、新政府軍の総攻撃を受け、銃弾に倒れた。生き残った藩士らの証言などによると、その前夜、旧幕府軍幹 部らが惜別の宴(うたげ)を開いていた。木村課長は「歌には悲壮な決意が示されており、土方が明日の死を予期しながらこの席で詠み、島田が大切に記録して いたのでは」と話す。





泣ける……有名な前夜の宴の席で詠まれたものかはともかく、函館で詠まれた可能性は間違いなくあるでしょうね。土方は死生観はあまり全面に出さない人だと思っていましたが、これは直接的でちよっと意外です。



編A







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記事タイトル:土方歳三辞世に新説「鉾とりて月見るごとに…」

(ブログタイトル:アングリングファン編集部 “かんつりーろーど。”)

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