かんつりろーど 2011/1
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■■3月号特集 生粋のサイトマスター 山崎亘 その1 ■■
投稿日時:2011/01/19(水) 13:40
3月号特集はおなじみ・チームフォレストの山崎亘氏。バス、雷魚と次々とターゲットを狙い撃ちする山崎氏のサイトフィッシング・?テクニックはトラウトでも存分に発揮される。数々のエリアトーナメントでも栄光に輝く実力派トップトーナメンタ???ーだ。今回?の取材は朝から雪降る群馬県・イワナセンター。モンスターイワナが闊歩する最高のステージだ。特集ページでは初心者にも判りやす?く、また上級者にも参考になる「山崎流」エリア攻略法を詳しく解説。是非そのエリアノウハウをご覧頂?きた?い。
■■ぶっちぎり(´・ω・`)オートサロン■■
投稿日時:2011/01/18(火) 10:06
先日打ち合わせの帰り、1時間しかなかったのでつが、オートサロンにいってきまつた
(´・ω・`)
こんなのもらってもどうやって使おう
(´・ω・`)
とか
ル・マンの栄光は忘れられないロスマンズポーシェ…
(´・ω・`)
とか
ロータリーの神機・あまみぃ~や
(´・ω・`)
とか
MRワゴン…すずきさん、コレ売るの止めといた方がいいよ、みたいな
(´・ω・`)
とか
国産車はLEDにHIDにスワロフスキーに…と派手派手カスタム流行り…
(´・ω・`)
とか
とりあえず釣り人としては
(´・ω・`)
コールマン仕様
とか
でも
そんな車が一番多くてたのしかったでつ
(´・ω・`)
(´・ω・`)
(´・ω・`)
(´・ω・`)
(´・ω・`)
ぶっちぎり~千葉最強
でつね
あたいはさいたま県人でつけど
編A
■■ア・バアオ・ク(´・ω・`)■■
投稿日時:2011/01/17(月) 15:57
ネット検索のある現在では、簡単に世の出来事や事象を知る事ができる。
しかし一昔前、ネットがない、或は不完全だった時代は自ら調べるしか他に無かった。
ガンダムというアニメが在って、現在もとても人気があるのだが、当時小学生だったわたしは5歳下の妹の意向もあって同時間帯には「マンガはじめて物語」を見ていたような気がする。
そう、あのピンク色の悪魔・モグタンである。歴史の勉強にはなったかな~というマンガだった。
しかし、ガンダムもガンダムで、小学四年生と言う微妙なお年頃だった自分には結構興味深いものがあった。
カイシデン
ソロモン
あーこれはだいにじせかいたいせんのマンガなんだな、と思った少年は、その視線でこのガンダムをモグタンごしに見ていた(妹がテレビから離脱したときなど)。
しかしそれが製作スタッフのお遊びなのかオマージュなのかは知らないが、全く戦争とは関係のないことを知ったときはちょっと虚しくなった(本当にあむろなんて名字が沖縄地方に多くあったことを知ればさらに戦争と繋げたかもしれないが)。
しかし坂井、西沢といった撃墜王が出て来るんじゃないか、なんてウキウキしてた小学生は間違いなく異常だったし、少し(かなり)変わっていたと思う。
そんななか「ア・バアオ・クー」という名称が本編に出て来る。
「ガンダム」「ザク」なんてのはマンガ用に作った名前でしょ、と馬鹿にしていたが、これだけはなんとも雰囲気のある名称で、ずっと知りたかった。
友達にも聞いたし、先生にも聞いたような…(気がする)。
さて、ここからは信じるか信じないかは別だが、このあとガンダムは映画となり、と同時にわたしは札幌から埼玉に引っ越している。
1981年、新宿アルタ前で、当時ガンダムの映画のお祭り騒ぎがあったのだが、今思うとこの数日前だったらしいのだが、わたしはあるおじさんが歩いているのを発見する。
見てくれは普通の眼鏡のおじさん。でも、見た事あるな~このひと…と思った。
周囲に変なファイルだか、本のようなものを持っている変な兄ちゃんもたくさんいた。そう、ガンダムのことを何かしら話していた。
それが新宿アルタ前付近だった。
今でこそ新宿アルタ前は普通の街並だが、当時は法律的にも色々とあいまいで、ヤクザ、チンピラ、売春婦となんでもアリで、田舎者が歩けば間違いなくカモにされていた状況だった。
小学生には恐い街、という記憶しか無い。
しかしなぜか衝動的に、その眼鏡をかけた人に聞きたくなった。
どうしても。
「ア・バアオ・クー」ってなんですか?
……と。
幻獣辞典なんて文学作品、知らないよね……普通…
オタク、なんて言葉はまだ無かった時代。
本をたくさん読もう……そう思った小学生時代だった…
(´・ω・`)
続く
編A
■■「超進化系」の日本人・本田圭佑■■
投稿日時:2011/01/14(金) 18:30
http://www.sanspo.com/soccer/photos/110114/scc1101141002014-p1.htm
後半、勝ち越しのPKを決める本田圭佑=現地時間13日午後、ドーハ・カタールスポーツシティ(撮影・大橋純人)
シリア戦、不可解なPKやカードは置いておくとしても、驚いた、と言うかスゴいと思えるシーンが在った。
同点に追いつかれながらも岡崎の切り込みでPKを奪取。結局本田が決めたのだが、その時のシーンだ。
普通、同点で後半終盤でPKを蹴る場合、今迄の代表選手だとどんな選手でも一瞬でも冷静な表情になる。
あるいはペナルティエリア迄歩いて行くとき、歩き方やボールを置くアクションに緊張感が見られる。というより、日本人なら当たり前だ。
あの不動のエース・中田英もオリンピックでその洗礼を受けているし、シュンスケもかならず緊張感は見られた。カズも、ラモスも、PKの時は皆緊張していた。
責任感。
絶対に勝たなければならない。
不可解な判定で守護神まで退場に追い込まれた屈辱感など……どう考えても「日本人」なら、多少なりとも緊張するはずだ。
表情に表れるはずなのだ。
しかし、この時の本田は異常とも思える雰囲気を醸し出していた。
「俺が蹴るんだよ、俺しかいねーだろ」とボールを鷲掴みして離さない。
しかもニヤニヤして「俺が決めてやんよ、早く蹴らせろ審判よぉ、キーパーも早く用意しろよ?」
……と、とにかくこんな超絶レベルの緊張感に溢れた戦場で、ハイテンションギラギラの本田。
まるで少年マンガの主人公のようだ。
日本人なら、外したらどうしよう、とか、外したときの言い訳は何にしようか……などと悪い結果、悪い結末を予想してしまう。だから緊張感もあるのだが、このときの本田は、おそらくだが、そのような感情はなかったのだろう。
結果論だが、ゴールネットのど真ん中に突き刺さったPK。もしキーパーが動かなかったら……マスコミ各社は今朝のニュース、新聞をどう綴ったのだろうか。
あの超新星ともいうべき中田英のフランスWCの最終予選、緊張感すら感じられないその度量に日本国内は驚いたが、しかし中田も人の子、ローマ退団以降はやはり失速し、輝きを失っていった。現在の本田はテクニックなど、中田以上のものを所々に感じる。
感じるが、しかし最も驚異と思えるのは記したような部分だ。
ポジティブシンキング、というほど軽薄ではなく、自らの技量に対する絶対の自信と、過去の戦歴の記憶。それとも失敗など有り得ないと達観し尽くしているのだろうか…とさえ思えてしまう。
緊張しない日本人。
平常心。
自らへの絶対の自信。
これこそが、本田の、我々に問いかけつつある日本人「超進化系」の真骨頂なのかもしれない……。
編A
■■2月号特集 大森誠のフィッシング理論 その3 ■■
投稿日時:2011/01/12(水) 14:43
2月号特集はがまかつテスターの大森誠氏。その冷静且つ極めて実戦的なイズムで各トーナメントで活躍しているトップトーナメンタ??ーだ。釣り人としての知識、トーナメンターとしての実戦経験。ドットコムトーナメントでも最多勝利数7勝の記録保持者としての?エ?リア・ノウハウを、今月の特集では余す所無く披露して頂いた。是非2月号巻頭特集でそのフィッシング理論の凄さをご覧頂きた?い。
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